考えた上で「あえてやらない」こと

と、いう状態にボクは結構なる。

ボクの行うデザイン(見た目的なものに限らず「設計」という範疇で)の全ての理想系は「寿司」だ。
寿司というと、酢飯にネタが握られたものを醤油に付けて食べるという、極めてシンプルな料理だ。
しかし醤油では物足りないからといって、ソースやケチャップをかけたらどうなるだろうか。酢飯をサフランライスにしたらどうなるだろうか。いっそのことネタを取ったらどうなるだろうか。
それらはもう、寿司ではない。過不足の無い料理としての究極形の一つが、寿司であるのは間違いない。

寿司という料理は、極めてシンプルにも関わらず一般的なイメージは「お高めの料理」だ。
最近は回転寿司でだいぶ安く食べることはできるが、洗練されきっているだけに、値段=素材の品質がモロに出る。また価格に見合った良質な素材を見抜く目利き、良質な素材を無駄なく最大限に握る腕、いわば板前の質も比例して上がる。その連鎖で、本当に美味い寿司というのはどうしても価格が高くなるものだ。銀座だの六本木だのの場合は場所代というのも付くけれど、シンプルの極みである寿司が高い理由は大体説明がつく。

で、エラい長い前フリでしたが、寿司を理想とするため「あえてやらない」ことがある。
「ネタの味を存分に味わって欲しい=本質である目的を見失わずそれのみに貫く」ためだ。
寿司などといった認識しやすいものなら良いのだけれど、Webのワークフローで発生したそれについては、理解をしてもらうのが非常に困難だ。早い話、「米」「酢」「魚」のどれも一切知らない人間に「寿司」という料理の洗練性を説明するようなものだ。まず米は、という風に順序だてて教えなければならないが、大抵の相手はそれを理解する気は無いし、我々も理解の必要を求めてはならない。プロだから。




結局のところは洗練させるがために熟考し、「あえてやらない」を選択するのは果たしてプロとして正しいのかどうなのか、という自問自答が最近多いんですよ。2時間くらい試行錯誤した上で、結局のところやらないのが正しいと判断するのは、それってどうなん?っていう。
さらに言うと、洗練させたところでやっぱり理解を得るのが難しいから、頑張っちゃってもなーという点。別にそれで貰えるお金が増えるわけでもなく。

あー無駄な時間なくしたいし寿司もくいてー。