硫黄島からの手紙を観た

まず、この映画がイーストウッドら米国人の手によって作られたことを評価したい。本当の日本の姿は、日本の外にもしっかりと伝わっているのだと。そしてこの映画により更に広まってくれるものなのだと。
逆に言うと、今の日本で作られたらこうは行かなかったかも知れない。

戦争を体験した人々が少なくなり、口伝されていく機会が減る一方で、映画という形で遺すことに大きな意義があると思う。
だが、この映画はエンターテイメントではない。特筆して「面白い」と言える映画でもない。観る人間も選ぶだろう。だけれども、日本を好きである人なら観て欲しいと思える映画だった。

この映画は誰も活躍せず、死を目前として、ひたすら悩み苦しみ足掻き死んでいく者達の描写にすぎない。そこに善悪は無く、正義も存在しない。あるのは様々な人間の思いでしかない。

日本の戦争映画にありがちな、ストレートに「反戦」を打ち出しつつ過去の帝國主義を暗に否定しているものではない。また戦争映画であるにも関わらず、激しく撃ち合うシーンはあまり多くなく、主役級に至っては発砲自体が描かれない。それは戦う事、戦争自体が「無駄」であるというイーストウッドの考えの表れなのだろうか。戦争という事実より、兵士達の心にあった真実を伝えたかったのだろうか。

実際問題、人間に「欲求」と「思想」がある限り、戦争は無くならない。

しかし日本自ら戦争をしかけるという事は今後もあってはならず、死力を尽くして回避し、避けられぬとならば確固たる意思を持って立ち向かわなければならない。確固たる意思とは「愛国心」。何も国に殉じろという事ではなく、「愛国心」とは祖国を思う心、自分や家族友人恋人の住む国を護りたいという心だ。

僕は思う。
現代を生きる日本人としての最大の恥は「無知・無関心」であると。
僕もまだまだ勉強が足りません。

改めて、イーストウッド監督の手腕に感服します。