支離滅裂思考

風呂に入っていたり、ヒマ潰す道具もなく長く電車に乗っていたりする時、ボクは何かしらの哲学を脳内で繰り広げてるんですが(通称カブキ会議)、最近になってというか、10年以上も前から行い続けていた議題にすごく偏りがあることに気づいた。考えている時は、そこまで気が回らないという、考えているのかどうかもよく分からない状態。
で、しょっちゅう挙がる思考議題が「生」・「美」・「宇宙」
もうとてつもなく広義すぎて尽きないんですね。
逆に言うと、これらに当てはまらないちょっとした考え事などは、大抵一回の思考議題に上がった時点で解決してしまい、二度と挙がらず、果ては何を考えていたか30分程度で忘れてしまうことがある。でも、間違いなく反省・工夫・応用と、自分自身のエサに出来ているという自信はある。多分。
なぜ考えても考えても答えの出しようのないことを考えるか。多分その考えている行動自体が好きなのだからだ。脳の中でうどん粉を練っているような、そういった感覚に近い。何かに対して修正や発展を望む思考ではなく、ただ楽しい嗜好としての思考。一種の麻薬だ。




最近、コーヒーを飲みつつ、窓の外に見える様々なモノのデザインの意図を考えるのが楽しい。モノは何であれ、形作られている限りそこには製作者の「意図」がある。高い理想の元に作られた高度かつピーキーなデザインや、商業的な意味合いで作られた汎用性・生産性の高いデザインなど、色んなものを見ていると別段美術館とかに行かなくても、色んな意図が受け取れるからだ。




ああ、すごい支離滅裂脳味噌発散。



世界樹の迷宮、第五層に到達。「アトラスはじまったな」と思った。