万人向けであること

シンプルさによる美観を持つものは、一般的に認知度の高いピクトグラムのような記号でない限り、一見では理解されないことが多々ある。

ある程度理解しやすい形状にしたとしても、それでもなお理解できない人を考慮した場合、最終的に文字に頼らざるを得なくなる。そうなると、当初あったシンプルさによる美観とはかけ離れていく。

美観を好む人は美を読み解き理解することに慣れているため、相応に理解力が高い場合が多いと考えられるが、そうでない場合もまたそれ相応の理解力となる。

Webにおける万人に向けたインターフェースは、後者も軽視してはならない。

雑誌

「万人に向けた雑誌」というものはあるのだろうか。
雑誌というものは、大抵が何かのカテゴリに絞り、そのカテゴリに多い性別や年齢層の趣味趣向の傾向から、よりよい内容に改善を繰り返すものだと思う。
強いて言うなら新聞だろうか。

新聞はプレーンな状態のHTMLとほぼ似たような状態だ。写真や広告など若干の飾りは入るが、基本的にプレーンテキストだ。写真は事実を伝えるものだが、広告についてはやはり趣味趣向を狙ったものになっている。
しかし子供は新聞を読まないし、大人でも読まない人間は多数いる。「華やかさ」を好む人にとっては面白みの薄いものだからだ。その点では万人向けではない。

BRUTUSなど内容が毎号変わる総合誌と言われるジャンルもあるが、それも万人向けではない。

これはもう、雑誌において万人向けというものは存在しないと断言できるくらいだ。

テレビ

「万人に向けた番組」というものを考えると、テレビは即座に思いつけた。
ズームインやめざましテレビといった、それほど報道性の強くない話題を提供する朝の番組だ。
コーナーによっては響かないものもあるだろうけれど、全体を通せば多分誰が見てもそれなりに楽しめるし、何よりそれをほぼ毎日提供しているという事実がすごい。朝の番組のプロデューサーさんには敬意を表する。

では何が違うのか

「能動的」か「受動的」かの違いだと思う。
テレビは映像と音声が一過的に流されるため、人の視覚・聴覚が勝手に拾う、受動的なメディアだ。
雑誌やWebは、見るユーザ自身で探し、手を動かし、吸収するといった能動的な動きが必要になるため、ユーザ自身で求めない限り目にも留まらないメディアだ。
テレビはテレビさえ買ってしまえば電源一つ、リモコン操作一つでいくらでも好き勝手に回せるが、雑誌はまず本屋に行き本を探し、買う必要があり、WebはPCを起動しブラウザを立ち上げ、ブックマーク・検索・URL入力のいずれかから目的のサイトを探す必要がある。こう比較すると、テレビというメディアの利便性をつくづく思い知る。

そもそもテレビの利便性や万人向けの打ち出しやすさはWebと比較するべきではないのかと思ったけれど、おそらくWebサイトのブラウズが可能なテレビの普及も、そう遠くない未来にあると思う。

万人向け万人向けとグダグダ考えたけれど、最低限見ていて「ワクワク」させる何かを感じさせ、「楽しさ」を感じさせることの出来るインターフェースを目指さなければダメだろう。ツールではなくサービスを構築するのだから。

まとめ

「万人」を文字通りの「一万人」と考えたら一気に楽になった。
100%という考え方ではなく、まず一万人に好まれるものを考えよう。
いやそれだけでも大変なことだけど。


俺の正義の中の一つに新しい項目ができました。いやースッキリ。